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P.P.P.P.C.B.N.経過報告書 2004/3〜4 |
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「まぁー、最低3回はやりますから。」 狛犬な夜 ブッキング担当:狛犬マキ
と見通しも無いのにそんなことを言って、会場費の値切り交渉から入ったと記憶する「狛犬な夜」。
- 世間に流されず地道に音楽活動を続けている僕の友人・知人達を集めてライブをする。
- ステージの転換にマイコレクションとも言える狛犬スライドショーを挟み、観客と出演者を一気に狛犬の世界へと引きずり込む。
という、公共性もへったくれもない個人的思いつきコンセプトのライブ企画であるのに、多数の出演者と観客に恵まれ、ノルマ3回を無事終えることができました。
総体的に評判も良し。しかもオール黒字公演。
そしてまた反省も見通しも無く「狛犬な夜」は続きます。7月24日。
■“総合的”であることが目的ではない。その先にあるものへ 報告者:阿佐田亘(a.k.a.大和川レコード)
- イベント自体が“総合的”である目的は…“出演者の芸”という対象の“提示の仕方、置き方”、これを実験できる処にある。
さて、本テーマの後半だが、この場合、イベント全体における“出演者の芸”は、文脈中の一文の意味に例えられる。つまり、その文脈如何で文章の持つ意味が変化するように、前後の共演者のパフォーマンス如何によって、自らの表現が、甲にも乙にも捉えられるということ。これは1ジャンル、1出演者による単独企画では味わえない総合イベントならではの長所と言えるであろう。
アーティストという存在は、極めて個人的な考えを公の場で発表することで、はじめてアーティスト足りえる。そして本来は、その“公”というフィルターにより、作品の解釈は観客に自由に委ねられるべきなのだ。しかし、その自由な認識というものが、我々の気がつかない間に、アートにおける常識や固定観念によって妨げられつつあるのもまた事実なのだ。
だからこそ、P.P.P.P.C.B.Nで僕が試したいのは、総合的に表現をレイアウトすることで、1つの表現ジャンル(音楽、美術、映像、詩、ダンスetc…)での固定観念を壊し、観客の頭の中に先行するイメージをスライドさせてみる、組み替えてみる、という作業なのだ。
“狂言”に出順挟まれての“フォークソング”が、なんだか錯綜しているかに見える様。
実際に困惑、錯綜しているフォークシンガーの某氏…。ああ、何か考えているのかな…。
最終的には、アーティスト自身も自らの表現を再編成できる場、そのような場となるイベントにしていけたらと思う、今日この頃である。
■……プディング斎(P.P.P.P.C.B.N.ディレクター)
2004/ 4/ 6
河野宏子(語るべきコトノハ)
記念すべきP.P.P.P.100人目の表現者。計算や構成ではなく、100人目が詩の朗読というのは、詩を大切にしている場所としては、ホッと胸をなで下ろすところ。肝心の内容は、毎日の生活の中から切り取られた心象風景群。自転車漕いでギーコギーコ。チビで悪いか。会社から帰って、お風呂にはいって。うーん、ポエトリー。
cinecova(鮮烈なる純映画)
P.P.P.P.初の自主映画上映。[凪]、[4分の3の青空]の二本立て。この日のP.P.P.P.は予期せぬ形で映像3組、詩の朗読2組、幕間音楽1組の参加となり、非常にバランスのとれた構成となった。うまい具合に出演調整しますねえ。と、感心されるが、これは全くの偶然だ。たまに、信じられないぐらいの共演の妙が楽しめる。これはP.P.P.P.の奇蹟だ。
デジコジ(NPO法人の偉いさん)
NPO法人「大阪アーツアポリア」理事登場。自身がアーティストとして、また音楽ディレクターとして赤レンガ倉庫で活躍しているのにも関わらず「一人の表現者として何かして下さい」との依頼に「一人の酔っ払いとして参加します」と、出演を快諾。ラップトップミュージックの第一人者なのに「ココルームでは映像でやる」とチャレンジャー魂を発揮。リハでさんざんやった事と、本番でやる事が全く違うばかりか、全てがお約束、許容範囲内。真の達人は共演者やスタッフ、P.A.さんを笑わせる事も忘れない。抱腹絶倒、ボケの嵐。お見それしました。あなたはすごい。
なにデジ(贋絵師町)
NPO法人「記録となんたらの組織REMO」理事登場。最終打ち合わせで、「出演?出演なんかしませんよ」とのたまい、関係者をパニックに陥れた。でも、よく考えて欲しい。映像作家は作品の上映をするだけで、自身が出演するわけではない。関係者一同、既成概念や固定観念を打ち破ろうと言っているのに、底が浅かったと反省しきり。ひょうひょうと、人をけむに巻く一貫したスタイル。作品群のクォリティはさすが。
ヒロタコウジ(出演すらしません)上田假奈代(代役出演)
P.P.P.P.初の欠席出演者不登場。病気で入院したらしいという情報にも、本人から欠席の意思表示がない以上、出演時間までスタッフ待機。出演当日まで、連絡が取れなかったり、出演時間ギリギリに飛び込んでくる出演者も少なくない。この日も、もしかしたらと、待ち続けたが結局欠席。「デジコジ」と、上田假奈代の即席コラボレーションで切り抜けた。
APRIL POOL(バタフライで25m×10本 音楽)
「幕間、幕間の転換時に何回かにわけて演奏できないか」メンバーのスケジュールが合うのは4/6なんですが。と、連絡をもらった時は愕然とした。この日のP.P.P.P.は偶然にも映像と詩の朗読だけで一杯だったからだ。しかし、幕間なら何とかなる。それも音楽!これは小さな奇蹟だ!と、本気で思った。スクリーンの後ろに陣取り、ドリフの全員集合の、回り舞台が回転する時の転換音楽とったら分かるだろうか。本当に最高!
鍵付きの坂道の夜
- 河野宏子さん(27歳)がマイクの前に立って
日記を読んでいる
その表紙のオレンジの色を どこかで見たことがあるな
と おとといの夢を思い出すように マシンをたちあげ
煙草の尻をたたく
ネーブルの皮に爪をたてると
甘酸っぱいインドシナの海峡を渡って
白い帆をあげた舟が海岸べりをすすんでくる
波のしぶきが デスクにかかり
デスクの上のみどりのコースターの上の氷が
かち と鳴る
氷が階段を降りる
4Fから3Fへ 3Fから2Fへ
踊り場で向きを変え 記憶のなかにある 夕暮れへと
降りてゆく
万事がこの調子で 今日いちにちも夕暮れた
河野さんには まだこのはなしはしていないが
河野さんが読んだ日記の 2004年の3月のあの日の夕暮れを
河野さんが踏んだ自転車のペダルが回転していく坂道の
速度で 夕暮れに踏みこんでゆくのと同時に夜がひっぱられるとき
わたしは和歌山にいた
爪の先まで 近づいてくる夜の海の前で さかのぼれない時間に
鍵をかけたことももう 忘れて
いっしんに坂道をくだった
鬱蒼とした夜がせりあがり
風に鳴る松林の向こうに
暗い色をした塔が頂上にみえて 鉄の音で
おおきな鍵をまわしたような音で
がら がら と 風車がまわる
もう何もかんも ええんやで
そんな顔で死んでいった祖母の
ふるえる指先に 冷えた夜がからむ
今日もまた 鍵をかけ忘れた坂道を
夜がかけおりてゆく
2004/04/11
OMM-PAH(トランペット二人組)
魅惑のトランペットデュオ「OMM-PAH」登場。「オンパーと呼んで下さい。」「えっ、ウン・パァッですよ」と、微妙な噛み合わなさ加減。ボケているのか、本気なのか。 8小節とか、12小節の短いフレーズを吹いて、しばらく間をあける。この間が絶妙。吹く前の「ハァッ」と、息を吸う音や、バルブのカチャカチャいう音も、パフォーマンスとして効果的に成立している。なにげにヒョイッと、ハードルを 越えてみせるが、そのハードルはとても高い。やるねぇ。
本当の子供達(発掘)
舞台上の椅子にラジカセを置き、客席上に携帯電話につなげた送信機を置く。演者は会場の外に消える。かなりな時間、無音状態が続く。会場の外から携帯電話をかけて、その音をラジカセに飛ばし、リアルタイムの環境音を音楽にしてしまおう。しかもそれは携帯電話なので、客席と演者が、話す事で相互通信もできる!『おーい、次はジェットコースターに 乗ってくれ』『了解!』アイディアはいい。でも現実は電波の状態が悪く、ガー、ガー、いうノイズと、たまに聞こえる「みなさん聞こえていますか」という聞き取りにくい声のみ。アイディアはいい。でも準備不足はいなめない。残念。
谷垣のともだち(のともだち)
cocoroom会計スタッフ、谷垣なにがし、満を持して登場。 ココルーム内にある色んな物を使い、ともだち数名を召喚。全員でチューニングするところから始まり、曲の形になる前の状態を見せるかのようなステージ構成。音を出す行為=音楽という概念を打ち破ろうとするかのように インチキなニセアンビエントを、真剣な顔でアンビエント。うーん、実務と会計もアンビエント。人生そのものがアンビエント。
ファルソス・ヒターノス(にせジプシー)
東欧バルカン半島に伝わるジプシー音楽、虐げられた人々の魂の叫び「チョチェック」の伝導士として遠い異国の空の下、「にせチョチェック」をあやつる、妖術使い、「ファルソス・ヒターノス」登場。「ほんま好きなんや」という事が、ヒシヒシと伝わるいいステージ。一本気で、こうと決めたら突っ走る男「気をつけな。俺に触れたらやけどするぜベイベー」って、実は尻に火が付き、火の車。うーん、チョチェック。
Enfance Finie(花嫁殺人事件)
滋賀を拠点に活躍する鼻息芝居「Enfance Finie」登場。鼻息といっても、セリフが鼻息というわけじゃなくて、鼻息が感じられるくらい近い場所での芝居という意味。という 事は、役者にもお客さんの息使いが聞こえ、微妙な雰囲気がすぐに伝わるという事。何が起るんだと、高まる緊張感の中、琵琶湖を渡ってきた表現者達は、馴れない初めての場所での始めての公演に全力を尽くす。観客ビックリのどんでん返しもありP.P.P.P.トリに相応しい公演となった。
2004/ 4/20
高岡大祐(怪人チューバ男)
「チューバを抱いた渡り鳥」高岡大祐登場。チューバ片手に今日は東に、明日は西に。ちっともジッとしていない落ち着きのない彼の演奏は、落ち着いているのかいないのかよく分からないボヨボヨッとした演奏。循環呼吸を利用して、ディジュリドゥのような共鳴音を出したり、手のひらで叩いたり、指の腹でひっかいたりして、様々な音を出す。チューバはでかいぜ。大きいぜ。ボヨヨン。
森本アリ(怪人ゲーム坊主)
「掃除機ありますか掃除機?」リハ時に掃除機を用意させ演奏する。遊んでいるんじゃなくて演奏。前回出演した時はゲームボーイを演奏し、観客の度胆を抜いた。演奏するはずのないものを演奏させれば、彼の右に出るものはいない。本番中も最初は落ち着いて座って演奏していたが、興がのって来るに連れ、中腰になり、そして立ち上がる。遊んでいるんじゃなくて演奏。ゲームボーイは楽しいな。ピコピコ。
さゆ(電話局のまわし者)
客席にテーブルと黒電話をしつらえ、ベルに始まる電話の歴史を時代と共に検証。遊んでいるんじゃなくて検証。途中、途中に電話の事を詠った詩を朗読する。遊んでいるんじゃなくて朗読。声を大きく、前に出そうと懸命に努力する姿に、会場に来ていた旦那さんの顔が、最初は険しかったのに、次第次第に、ニヤけてくるのが好印象。夫婦っていいなぁ。君がいたから僕がいた。また電話するね。リリリン。
口八丁(ビヨビヨコンビ)
怪人チューバ男 vs 怪人ゲーム坊主=口八丁。怪人二人組のゲルショッカーユニット登場。バカバカしい事を、真剣に、ハイクオリティで持続させる力と言うのは真似しようと思っても、真似したくない程のバカバカしさ。観客の、笑い出す直前の、大きく眼を見開き、口が笑い出す前の瞬間のみをキープする力技は、もう、脱帽ものの快感。口琴コンビにも関わらず、口琴は最後にちょっとだけ。ビヨビヨ。
TOMY & MAC(ブルースロックの達人達)
この道一筋20年。石の上にも3年と4日。石橋を叩いて壊す。初心忘るべからずって言うか、初心のまま大きくなったんですけど.。という潔さがいい。もう、どうにでもしてっ、て感じ。「かっこいいだろう」とか、「どうだっ!」という、テクニックの押し付けではなく、好きだからこそ続けて来れて、情熱があればこそのテクニック。俺に流れる赤い血は転がる石のように。ギター、ギョーン!
2004/ 4/29
ORGAN(スーパーオーガニックミュージック)
ライブハウスやクラブイベントで活躍する電脳集団「ORGAN」登場。大量の器材を持ち込み、映像と音楽のコラボレーションにいのちをかける。セッテイングに時間が掛かるため、一番最後のリハ、トップに演奏とかなり無理をお願いしたが、逆境にたつ程エンジン全開。まだ外は明るいのに、会場はオールナイトのクラブ状態。若いっていいねぇ。
田岡峰樹 with 正本智恵(モンゴル音楽)
「趣味が高じた素人芸です。あまり期待しないで下さい。会社の同僚に何て言おうかな」と、終始和やかに出演が決定したが、本番ではモンゴルの伝統衣装に身を包み、二歳児の母を引き連れ登場。即興で、練習して来た素人芸を披露するのではなく、モンゴルの伝統楽曲を、解説を含めていねいに演奏。彼の地の人が見たら涙するに違いない。遠東の辺境の地で、こんなにも誠実に取り組んでいる人がいる事を。
nova express(今回はMAXで)
nova expressと言えば、P.P.P.P.では映像とダンス、音楽との融合を試みる、かなり難しい顔をした人達。という印象が強かったが、お祭りと言う事で、出し て来たのは「スペシャルなテクノポップ」。普段は一言もMCしないのに、終始にこやかにMC「いやぁ、YMO大好きなんですよぉ」同世代の観客大喜び。幼い頃に心に蒔かれた小さな種は、リスペクトと共に大きな枝葉を繁らせる。歴史だねぇ。
周川ひとみ(踊りをとめ)
一人10分押し「周川ひとみ姫」登場。「私は私のやりたいようにやる」と、あいかわらずの芸術は爆発だ状態。一切のMC、BGMを排し、体躯の動きだけで40分持たせるところはさすがの実力。息を飲む観客の「ゴクリ」という音が聞こえてきそうな緊張感の中、静かに激しく舞い踊る。個人集客数、歴代第1位37名樹立。金字塔。ぐうの音もでません。
福永祥子+はくさんまさたか(詩の朗読とその周辺)
京阪神で活躍する吟遊詩人と、ディジュリドゥ奏者のユニット登場。とても大きな尺八のように見えるディジュリドゥに、「絶対山に籠って自分で作ったでしょう」と聞くのを忘れた。ファッション雰囲気共にただ者ではない二人組。「こんなに楽しいの、はじめて。楽しい楽しい」と子供のようにはしゃぐ福永。最後は友人達もステージに上がり大団円。
よごいじだに(解体と進歩と膨満感)
記念すべきマイノリティまつり第1日目。トリをつとめるのはcocoroomスタッフとNPO法人、[記録となんたらの組織REMO]理事によるデッチあげトリオ。「とりあえず客を笑わせるんだ」を合い言葉に招集するも、観客の真剣な眼差しに気押され、用意したボケをかませず、ちゃんとした演奏を見せようとするあまり、空回りの連続。地道なボケの向こうに未来はあるのか。
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